第三話千円のご祝儀袋

 わずかにちょっとそのむかし、あるところに平屋の古い借家がありました。20軒近くが点在し、どれも傷みが目立ちます。そこに一人のおばあさんとその娘夫婦が二戸にわかれて住んでいました。

 わたしはいつものように弁護士と一緒に、立ち退きの交渉に訪れました。するとおばあさんは「一戸建だし、娘の近くに暮らせて便利なんです。出て行きたくありません」と言うのです。
 「そうですか。お嬢さんともお近くですし、今の生活に満足されているんですね?」すると、そうではないと言うのです。
 「建物は古くなってきているし、いずれは引っ越さないといけないとは思っています。でもなかなか条件の良いところがないんです。」
 「そうですか。それはどんな条件ですか?」
 「実は、娘夫婦は二人とも耳が不自由で、孫もまだ小さいから、娘の近所に暮らせるのが条件です。それから、孫の校区が変わらないことですね。」
「なるほど。」
 「それに、娘の亭主はやさしくてまじめな人だけど、目が不自由なこともあり仕事が限られていて…。高い家賃は払えません。引っ越し費用だってかけたくないくらいです。」
 わたしは、じっと頷きました。

 それからは数日置きに通いました。娘さんともなんども筆談し、幾度となく希望を聴きました。
 わたしは、根気よく物件を探し、母娘を何度も新しい物件へ案内しました。そうしてようやく納得の行く家を見つけたのです。
 こうして交渉は成立。わたしは、母娘のかわりに契約の手続きや引っ越しの手配も行ないました。
 全てが終わり、最後のご挨拶に伺うと、おばあさんは 「あんたらには良くしてもろた。これを受け取ってください。」といってご祝儀袋をくれました。

 わたしはびっくりしました。長年立ち退き交渉をしてきましたが、ご祝儀をもらったのは初めてです。中身は千円札が一枚。そこに心からの感謝の気持ちに感動したわたしは、良い仕事をしたなと嬉しく思いました。
 これからもこの気持ちを忘れないため、今でも大切にカバンに入れて持ち歩いています。

 今日は妻に連れられて、升田学さんの展覧会にやってきました。一本の針金がこんなふうにアートになるんだなぁ。なんだか清らかな気分です。