第一話呑んべぇのタクシードライバー

わずかにちょっとそのむかし、あるところに、古いアパートがありました。2階建ての小さなアパートは傷みが激しく、耐用年数はとっくに過ぎていました。家主は立ち退き交渉に失敗し、とても出て行かない借家人だけが残ってしまい、半ばその土地を諦めていたのです。相談を受けたわたしは、思い切って土地建物をそのまま買い取ることにしました。

わたしはいつものように、立ち退きの交渉に訪れました。一軒一軒それぞれの事情を聴き、丁寧に応対しました。その甲斐あって、何とか交渉は進んで行きました。しかし一軒だけは何度通っても会うことすら出来ない住人がありました。前の家主から、一階の端に住むその住人は、タクシーの運転手だと聞いています。携帯電話にかけてみても返事がありません。明け方、真昼、真夜中と、どの時間に行っても会う事が出来ないのです。わたしのことを避けているに違いありません。わたしは手強い相手だなぁと思いました。

 ある日、ホトホト困り果てたわたしは、車一台やっと入れる建物の前の路地に車を入れて、待機することにしました。その住人の物音が聞こえるような場所で、夜を明かすことにしました。さながら探偵のようです。

2日たって、ようやく家から住人が出てきました。わたしはその住民を呼び止めると、ただただびっくりして目を丸くしています。
「あんた、誰ですか?」
「ここの新しい家主です。」
「ええ?ああ、そうですか。」
見たところごく普通の50前後の男性です。
「何度も電話しましたが、お出にならなくて困りました。」
「あれ、あなたの電話でしたか。わたし、知らない電話には出ないんです。」
「いつ訪問してもお留守で。」
「はぁ、仕事に出ていたか、酒を呑んでいたか…」
「タクシーの運転手をされているんですよね?」
「ええ、まぁ…」
 そのタクシー運転手は、わたしを避けていたわけではなく、だた酒を呑んでうろうろしていたと言うのです。たしかにその時も酒臭く、目は少しうつろでした。
「前の大屋さんから立ち退きの話は聞いてましたか?」
「はぁ、なにせ面倒で。それに借金で首が回らなくて、出ようにもお金がないんです。電話も借金取りかと思って。」
彼は立ち退きを拒否しているわけでもなく、ただ考える事を放棄していたのです。さらに話を聴くと、日々お酒を呑んでタクシー事業所に行くものだから、車を走らせる許可が下りません。それでまた酒を呑んで、出勤できない日々が続いていると言うのです。

もうここからは、まるで身元請負人です。わたしは、立退料の前払いという形をとって借金の返済を手伝い、近くの小さなアパートを見つけだし、引越の手配もしました。しかし、彼は荷造りもまともにできていません。しかたなく段ボールに荷物を詰めることまで手伝いました。

 タクシー運転手は、頼りない声で感謝の言葉を述べ、ようやく立退いてくれました。
 その後、彼はしっかり働いているのでしょうか?お酒に呑まれていなければ良いのですが。借金が完済しただけでも良かったと思います。

 一仕事終えたわたしは、おいしいご飯とビールが欲しくなり、妻と、「シチニア食堂」へ向かいました。